もりの小学校雑学→ボランティア

テレビで、国語の授業にボランティア教員が参加している学校があることを報告していた
注目すべきは、これまでのボランティア授業とは違うということだ。いよいよ始まったなという気がする。歓迎したい。

ボランティアが授業するのではないところに注目したい。
例えば、これまでの総合学習でのボランティア参加とは違う。に地域の方が参加して、得意なことを説明するというのではないところに注目したい。理科の学習でのボランティア参加とも違う。理科の得意な方が、授業で先生に代わって火薬を利用したロケットの上げ方や推進原理を教えてくれるなど、色々な実験をしてくれるのとも違うのだ。

先生の授業の補助として、目の回らないところ手の入らないところに手を入れてもらうというボランティアだ。これを見落としてはいけない。普通の主婦や会社員やお年寄りが、先生の資格はないし何か得意なことがある人でもない方が、先生の手伝いをするということだ。

学校は困っている。40人のクラスで目が届かない。身体障害を持った子が学校に入ってくる。これ自体は何も問題はないし、そういう権利は保障してあげたい、それに来てくれることで他の子ども達の目も広がる、実際の社会には身体障害者はいっぱいいるしそういう方も外へ出て暮らすということは当然だという・・・これは前提。しかし1人の先生が、トイレから移動までクラスの子どもと一緒に面倒を見なければいけないという問題があるのだ。
教室を飛び回ったり、イスに座っていられない子どもも増えている。再度書くけれど、これ自体は何の問題もない。そういう子ども達も、普通の大人として育ち、社会の中で暮らしている・・・これは前提だし当然だ。で、学校では1人の先生がそれに取りかかって、外へ出て行ったらほかの子に教えながら、外へ出て行かなければいけないので困っているという現状があるというのが問題なのだ。
一つのクラスの中に分からない子が何人もいて、全部の子どもに目が回らずに、手を入れれば伸びる児童をのばせられないで困っているというのが問題なのだ。
そこで、ボランティアを頼む、当然のことが行われていなかった。

ボランティアを頼んだら、というと、「お母さん方は忙しいから、そんなことには出てもらえない。」と言う。それなら、お年寄りの方を頼めばいいじゃないか。来てくれる方は必ずいる、毎日じゃなくて良い、一年に1日でも良い、みんなが手伝ってくれれば、毎日何とかなるだろう。

それは、ボランティアですることでなく、教員を増やすことが先決だ。そういわれて、ずっときた。それで、1学級の人数も減った。ボランティアを導入することはこれとは矛盾しない。様々な手を使って、どうにかしていくという方向へころがるようにしていくのが大事なのだと思う。「教員を増やすことが先決」というのは口だけで何の解決にもならない。

そこには、まだまだ様々な問題があるだろ。
教わる子の人格はどうなるのか、あの子はできないなどの個人プライバシーが漏れないのかという問題もある。子どもが自主的に学習する部分が減るのではないかなどという批判もある。

クラスの人数がどれくらいが良いかというと(これはまた別のところで述べよう)

地域のメーリングリストにこう呼びかけた。図書館の整理のボランティアに来て頂けませんか。
まだまだ、さまざまな形でボランティアをお願いしたいことがある。
授業参加が無理ならば、こんなところから学校が開けばいい。
校長先生にこういった。「学校で「コンピュータ講座」をさせてください。」
気持ちは。学校も地域にボランティアをして、相互に開かれた学校を目指している。  ・・・地域通貨、エコマネーを見通しながら・・・