FmFによるアメリカとの交流(2006)スタッフとして


走る走る 飛行機トラブル

大勢の旅行ですから、中には飛行機のトラブルにあった人がいるようです。
1,シカゴ・オヘヤ空港ワシントンDC行きの飛行機乗り場の前。
日本人の旅行客から「この券でワシントンへ行けるか」と聞かれる。「飛行機のトラブルで別チケットを渡されたけれどシート番号がない」のだそうだ。我々同行者には何人も通訳さんがいるので、代わって聞いてもらうと、「名前を呼ばれたらシート番号のついた券をもらえる」とのこと。要するに空きシート待ちということ。知り合いへの電話もうまく通じず、こちらで持っていた携帯で連絡を取る。
こういうときは、「私はお金を払ってるんだから、どうにかしなさい」と券をもらう前に交渉しなきゃダメだとかいう人がいる…う〜〜ん、この航空会社って不親切。ボクには考えられないけど。
2,スーツケースが届かない
これについてはその人がレポート。無事届いた模様。ご苦労様でした。
3,走る走る走る、シカゴからウイスコンシンへ
これはボク。ワシントンの空港へは2時間以上前に出発で早くついた。でも、そこでもらった搭乗券にはシート番号がない、あわてて同行のアメリカの先生に聞いてもらうと「これで大丈夫」とのことでひと安心。
シカゴまでは同行の学校があったので安心です。(塩尻西小とアメリカの先生方に感謝)
でもテェックインで「キンコーン」と機内持ち込みのスーツケースがセキュリティに引っかかる。「ボクので〜す」と手を上げると「日本語大丈夫です」という方がトランクを開けて中身を見る。なぜだか不明だけど、明日はひげそりとコードは離してパックしようと思う。
そうこうしていて時間がかかり、搭乗口に着いてみると「○○くまさ〜〜ん」と英語で呼んでいる。「はーい」「早く乗って」。到着時間が遅かったのだ。
1度あることは2度ある。
シカゴのオヘヤ空港では席が後ろの方だったので降りるのが遅くなる。同乗者と降りると最初に降りたアメリカの先生が「20分待ったよ」という。さて、「じゃ元気で」と挨拶して、それからボクは搭乗便までの時間が少ないことに気がついた。計画では1時間出発まであったのに飛行の遅れと下車の遅れであと35分。
今いるゲートはCの1なのに、搭乗ゲートはFの12、どれだけあるか分からない。急ぐ、急ぐ。Fはどこだ。Fと書いた矢印を見ながら、エスカレーターを降り地下ゲートを通り抜け(きれいなネオンを見ている閑はない)エスカレーターを登り(おいおい、ちょっと退いてくれない)走る。巨大な恐竜の骨格が歓迎してくれているのも横目で見ながら走る。動く歩道を乗り継いで、Fはどっちだ、どっちだ。途中で動く歩道はなくなる。うん、Fはまだ先だ。店の少なくなる方へ進んでいく。F・F・FあったF1、F2、F3。F12はまだまだ先。でもいいぞ、ここまできた、と出発時間はと表示を見ると………なんと……35分発予定が55分となっている。まだ20分もあるじゃない。
搭乗口では同じ出発時間の飛行機が2台表示されている。おやどっちだろうと良く聞いていると、案内している人が別の空港の名前を言っている。おや後で乗るのだろうか…でも人はどんどん減っていく。片方の列が長い…ということは別の飛行機なんだ、と理解して長いといっても10人ほどの列に並ぶ。
すると、路は空港に降りて、小さな飛行機。前で日本人が小さいと言いながら写真をとっている。
そこでは緑色のタグを「つけろ」といって渡される。つけたけどどうしよう。「どうするの」と聞くと、タグの一部を切り取って渡してくれた。(そうか、ここで積み込むのか)
飛行機に乗ると人数が合わないようで…一人違った人が乗っていて降りた。(よかった、ボクじゃなくて)
雨薄懇親へ降りるとき、ボクの荷物はどこでくれるんだろうと心配になる。飛行機を降りて通路を歩いていくと、数人の人が通路の途中で止まっている。おや、ボクも止まっていてみよう……するとそこへボクのボクトンバックが投げ込まれる。後でタグを見ると、機内持ち込みオンリーのタグだよと書いてあった。
よかった、ついた。その後は1日ぐっすりよく眠れました。そして夜もぐっすりです。

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