立石柿・親田柿の歴史
●江戸時代のかきむきの様子
長野県飯田市立石は立石柿の産地として有名でした。ここでは、柿むきの様子が歌になって残っています。
歌に残るほど、盛んに、干し柿作りが行われていたのです。
柿むきは、近所の農家で互いに応援(おうえん)しあっていました。これを●クイズ1●といいます。
夜になると、柿むきをする農家に近くの農家から集まってきます。
昼間取っておいたかきは、土間(どま)に山盛り(やまもり)になっており、この柿の山を十数人が取り囲んですわり、柿をむきました。
積み上げられた柿の山の上には、●クイズ2●が載っています。
これを自分の方へ転がそうと、柿をむく手が早く動くのです。
そうして、歌を歌い、昔話に花を咲かせながら、12時過ぎまでむいていったのです。
早い人は、一晩に●クイズ3●個もむいたといいます。
●柿むき歌=(長野県飯田市立石に伝わる歌から)
お坊さ山道 破れた衣
行けど戻れど 気にかかる
柿の名所の 立石寺に
渋い顔した 仁王さま
柿をむくには むきようがござる
方を張り上げ くるくると
今宵なごりの むき上げ柿よ
白いうなじよ さようなら
これが今年の むき上げ柿よ
ご縁ござれば 来年も
別名、柿観音とも呼ばれる立石寺は、今から1100年ほど前、857年に開かれています。
干し柿作りは「お坊さ山道 破れた衣、行けどもどれど きにかかる」と柿むき歌にあるお坊さんが、伝えたと言われています。
きっと、ここ立石寺を訪れたお坊さんなのでしょう。
もう一つの歌と出荷